今日は持病の定期検診に。引っ越しに伴い、新たな地での病院を紹介してもらった。
今から7年前。バセドウ病だと分かり、治療を始めた。23歳の誕生日を迎える少し前。体調不良が続き、会社に3日間行けなくなった。通勤には1時間半かかり、乗り換えが3回ある。乗り換えのたびにベンチで休憩するが、その3日間は最後の乗り換えで休憩しても体調が戻らず、断念して家へと帰った。
なんとか原因を教えてほしいと、地元の病院に駆け込んだ。もしかすると、甲状腺かもしれないと、血液検査を提案してくれた。次の日、病院から電話があり、バセドウ病だと判明した。
専門病院を紹介してもらい、それから7年今の病院に通っている。初めは1ヶ月に1回の通院、放射線治療をして、ホルモンが安定した後は3ヶ月に1回、そして半年に1回。
改めて振り返ってみると、長い長い道のりだった。生年月日と名前、年齢が書いてある問診票を見ていろんな感情を抱いたことを思い出した。不安、絶望、妥協、諦念。20代、大学を卒業して社会人になった頃からの付き合い。周りが飲み会やら、サークルやらスポーツやらと楽しい集まりが多い時、私は病気と闘っていた。というより、病気になった私の心とずっと闘っていた。
体調不良が続いていたから、バセドウ病だと分かり、不調の原因が全ての症状と合致した時、あー、これが原因でしんどかったのか、と安堵の気持ちが溢れた。
けれど、そもそもバセドウ病になった原因は病院では教えてくれなかった。未だ遺伝とストレスとしか分かっておらず、原因不明とされている。それじゃ心が納得いかない。バセドウ病だと分かった時にお医者さんから心臓に負担がかかるため危ないので、運動は禁止だと言われた。
自分が病気だという事実を受け入れられない、友達のお誘いにも体調が悪くなってドタキャンするのが怖くて断るようになる、だんだんSNSで周囲の楽しそうな姿を見ることすら辛くなったきた。会社に行くにも迷惑をかける。そんな自分の存在がいらない存在なのではないか、と自分を責めるようになった。
体が崩れて、心が崩れた。
体の治療を始めて、しばらくは心を放ったらかしにしてしまった。SOSに気づいた時には心は崩れ落ちていた。
体の治療とともに心の治療をはじめた。
長い長い道のりだった。
この3年ほどは半年に1回の定期検診。薬の量も安定している。体も心も落ち着いてる、というか心地よく、小さな不調があればある程度セルフケアで体調を整えられるようになった。
心の奥底で、いつか薬が手放せる日がきますように、と野望は捨てていない。
だけど、今は毎日健康に、楽しく充実して過ごせるように、その状態を保てるように、幸せに過ごせることができれば充分だ。
希望や野望は捨てる必要はない。ただ、今の状況をしっかりと見つめて、自分に必要なことはしっかりと受け入れていく。
心の変化は、またどこかで詳しく書きたいな。忘れないうちに。
私の体が続く限り、病気とは一生のお付き合いだけど、今はひとまず、7年間よく頑張った、と自分の体と心にハグをして慈愛の気持ちをたっぷりと与えてあげたい。
そしてまた、新たな地にしっかりと足をつけて歩んでいこうと思う。
病院に通った日々を思い返す日が来るとは思わなかった。初めて病院に行った日、たまらなく不安で、急に目の前がモノクロの世界になったかのように色が消えていったけど、確実に人生は良い方向へと進んでいる。
あの時の自分に、声をかけることができるのなら。
なにも心配はいらない。大丈夫だから。
と。そっと抱きしめたい。
いろんな感情が蘇って、言葉にするのが難しいのだけど、全ての感情が私にとって宝物。今があるのはその全ての感情があったから。
7年間お世話になりました。また新たな地で楽しく進んでいきます。
感情の記録として。
2022.08.12