Where does self-esteem come from?

自己肯定感。

ここ最近、よく聞くフレーズ。自己肯定感。皆さんは聞いてどう思うだろう。「大事だよね?」「いやいや、鳥肌だわ。」「え、なにそれ?」みんなの反応はどれだろう。

セルフケア、セルフラブ、セルフエスティーム、と呼ばれる。自分のことをケアして、肯定する。これをすることで人生観が格上げされる。さあ、あなたも今日から。

なんて、簡単なことではない。

健康に気を付けるようになり、自分自身で体と心を整える方法を模索していた中に、セルフケアがあった。さらに心のケアとして、自分を肯定する自己肯定感。

仕事がうまくいかず、空回りしていた時、どんどん自信がなくなっていった。自信がなくなると、余計にすべての物事がうまくいかなくなり、毎日仕事のことで頭がいっぱいになった。毎日毎日、今日うまくいかなったことを反省をして、もっとこうするべきだった、ここがよくなかった、って自分を責め立て、ときには悔し涙を流し、そんな自分に落胆し、眠りにつく。

この状況をどうすれば打破できるのか悶々としていた時。あ。今の自分に足りないものは、自信だ。と気がついた。とにかく、自信が必要だった。根拠なんてなくていい。自信が欲しい。はて。どうすれば自信をつけられるだろうか。そんな悩みを抱え、本屋へ行く。答えを教えてくれそうな本を必死に探した。ほとんど直感で。アドラー流の自信の付け方や、ミスユニバースのビューティーキャンプ講師流や、何冊か読み、自信の付け方を学んだ。そして、本に書かれていることを、半信半疑、いや三信七疑くらいで試した。

自分のことを褒める。

これが、私にとっては、とってもとっても難しかった。例えば、1日の終わりに、良かったことを口に出して寝る。毎日、反省点を探し、自分を責めて寝ていた私が、自分の良いところを探す。なんとも歯痒い。でも、疑いながらも試してみた。

次第に、自分を認めることが上手になっていた。試しながら、自分に合う方法に少しずつ形を変え、習慣化していった。形から入るのも悪くない。

自己肯定感は、もちろん自分をいかに認めてあげられているか、ということではあるが、他人からの反応によっても培われていくものである気がする。

私はこの2年ほど、とても感慨深い経験をした。

私が就活をしていたのは、今から8年ほど前。大学の専攻は環境工学。中学の頃から環境問題と国際問題が気になっていた。将来の夢は別にあるけれど、常に気象変動や海外の飢餓など現実に起こっている問題を忘れちゃいけない気がしていた。本当は夢があったから、環境工学を専攻しているのは本望ではなかったが、本当に興味のあることだった。調べれば調べるほど、社会に対して、このままでは良くないし、もっと同世代が環境に興味を持つべきだと、思っていたが、共感はなかなか得られなかった。完全にマイノリティだった。海外のように、おしゃれでセンスがあり、環境や人に優しい暮らしに憧れていた。ファッションも好きだし、お洒落も好き。だけど、環境にも興味がある。

人々の意識が大きく変わったのは、グレダのスピーチだろう。私はあのスピーチを見た時、涙が止まらなかった。あれほどの発言力と影響力は多くの日本人の心にも響いた。人々の意識が変わり、あらゆる企業が重要性に気付き、テレビでも環境問題を取り上げるようになり、SNSではサステナブルという言葉が流行り出した。それとSDGsも相まって、今では言葉を知らない人の方が少ないのではないか。と思うほど。

こんな風に、環境への意識が高まり、行動を変える人が多くなり、企業やブランドが良い方向へと軌道修正している姿を見れることが、嬉しい。マイノリティな存在でいる時、自分が変わった人間で、人とは違う。意識が高い、と壁を作られる。自分が変わっているのか、普通じゃないのか、って悩むこともあった。私がやりたいことを仕事にしている会社を見つけられず、雑誌の編集に入って、編集長に登り詰めて、環境とファッションというテーマで雑誌を作ろうか、日用品の会社に入って、エコなパッケージや簡易包装を作ろうか、どうすれば。。と迷宮入りしたことを昨日のように覚えている。

結局は、環境に関する水の業界で会社員をして、直接的ではないが、環境に関わる仕事を選んだ。

そんなある日。いつもどおり本屋へ行き、雑誌コーナーで見た光景が、嬉しく、感動した。

その光景は、ELLEやVOGUEといった一流のファッション雑誌をはじめ、ずらりと並ぶ雑誌が環境とファッション、エコ、サステナブルという言葉をテーマに表紙を飾っていた。8年前の私が見たかった光景。おしゃれな若者がクールにエコな活動をしている内容だったり、ブランドだったりが書かれている。時代が変わり、人々の意識が確実に変わり始めていることを確信した。あの頃、新社会人で起業することもできず、仕事を探すことすらできず、諦めてしまったが、いろんな人の努力が積み重なり、時代は変化していた。思い描いた光景が目の前に広がる本屋で、1人静かにこの興奮を抱きしめた。

あの時考えていたことが現実になった。この時代の変化は、自分を全面に肯定してくれたような気持ちになった。昔からの環境問題への想いは間違っていない、ってことを。私が何かをしたわけでもなければ、むしろ何もできなかった、のだけど。それが、悔しいということよりも、ただただ社会の変化が嬉しいし、時代が私を肯定してくれたような、不思議な感覚を味わった。

もちろん、問題は解決していないし、これでオッケー!ということではないが、いろんなところで、想いは実現化されていて、さらにはSNSの普及で同じ価値観や考えの人が繋がり、一緒に学んだり、活動をしようと試みる。こんな現代が、マイノリティな存在の頃よりも、すごく居心地が良い。

こんな風に、思いもよらぬところから、自己肯定感が上がることもあるから、生きていて面白い。年を重ねることが楽しい。

まだまだ知らないことがたくさんあるこの世界で、あとどれくらい素敵な出来事に出会えるだろう。素敵な景色を見られるだろう。どれだけの国を訪れ、人と出会えるだろう。私の人生は、地球からするとほんのちっぽけで、一瞬のことだけど、この世界がより美しく感じられるように。そう願って、日々の時間を大切に過ごしたいものだ。

自己肯定感。あえて、高くすることが必要な時もあるし、待っていれば思いもよらぬところからやってくることもあるかもしれないね。やってきたときに、きちんと感じられるように、日々のセルフケアを。

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