What I felt in meditation…

4/12 mon

おはようございます☀︎

今日は朝の瞑想中に頭の中で面白いことが起きたので、頭の中に浮かんだことを共有しようかな、と。

感覚的なことが掴めなくて、スピリチュアルが苦手で、ヨガとか瞑想に苦手意識を感じる人、理系的な理論的な思考の人にはちょっと暇な時にでも読んで欲しい。(ちなみに、科学が苦手な人は面白くないかも!)

((瞑想で感じたこと))

瞑想とは。
目を閉じてそっと呼吸に意識を向ける
自分の軸へ戻っていく感覚
地球とつながる感覚
地に根を張る感覚
グラウンディング

瞑想してるとふわふわしていた意識が
すーっと下の方へ降りていき
落ち着いていく感覚。

これは、水に溶けきれない粒子が攪拌された後、
ずっとそのまま置いていると、
だんだん回転が緩やかになり、
粒子はだんだん下の方へと落ちていき、
いずれ回転がなくなり、すべての粒子は下へと溜まり、沈殿する。粒子はエネルギーと同じ。
これは、重力がかかっている地球にいるからであり、
りんごが木から落ちる、という
地球の中心へと引き寄せる力、重力があるから。

それが、なんとなく瞑想の時に感じる
ふわふわ錯乱した気持ちやエネルギーが自分の軸へと戻ってくる感覚が、
この理科の実験みたいなところと似てるな、と感じた。

感覚的でスピリチュアルなように見えるが
宇宙理論に基づき科学的根拠に基づいているように感じた。(あくまで個人的見解です。)

月の満ち欠けに応じて、
海の満ち引きがあるように
月のエネルギーは感覚的なものだと思いやすいが、
確実に存在するもの。

モンサンミッシェルはまさにその昔、月の満ち欠けに合わせて、海の満ち引きを利用していた。自然と共存していた時代。

目に見えない ということが
存在しない  ということではない

小学校4、5年くらいの理科の実験で
車の排気ガスに含まれる二酸化炭素が地球温暖化の要因である。
植物は二酸化炭素を吸い、酸素を吐き出す。
この原理を証明するために、
交通量の多い場所にある木の葉と
森のような公園に生えている木の葉
この二つを学校に持ち帰り、
顕微鏡で葉の裏にある気孔をみる
というのがあった。

そしたら、交通量の多い木の葉の気孔は黒くなっていた
これが二酸化炭素なんだと。

この時、目に見えないものが
そこに存在することを確信した瞬間だった気がする。と、最近気づいた!

今思えば、ここから環境問題が自分の中でどこか意識するようになったのかもしれない。(それはともかく。)

目に見えないからといって、
それを信じるか信じないか?
みたいな話ではなく、

確実にそこに存在している。

私は月や星が好きだし、

感覚的なことを受け取りやすいので、苦手意識もなく自分がどう感じるか、しか考えてこなかったけど、
なんかこんな理論的なことが、今日の瞑想中に勝手に頭に浮かんできた笑

そして、自分はつくづく理系だな、なんだこの思考、
と笑ってしまった朝いちのこと。笑

そして、今日は新月ですね✴︎

牡羊座の新月。月のエネルギーも借りて、今日からまた素晴らしい1日を◎

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